職場やプライベートの「悩み」誰でも1つや2つあるのではないでしょうか?
私も悩みは絶えません。そんなとき
「すべての悩みは対人関係の悩みである」
こう断言する本に出会いました。
有名な「嫌われる勇気」です。少し難しいところもありますが、読みやすい本でした。
私の簡単な自己紹介
「嫌われる勇気」がお勧めな人
こんな悩みを解決するヒントが「嫌われる勇気」にはあります。
「嫌われる勇気」の要点3つ
この3つを実践する勇気、それが「嫌われる勇気」です。
「嫌われる勇気」の著者
岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者。1956年京都生まれ。専門の哲学に並行してアドラー心理学を研究。著書には「アドラー心理学入門」など多数。「嫌われる勇気」では原案を担当。
古賀史健(こが・ふみたけ)
フリーランスライター。1973年福岡県生まれ。書籍のライティングを専門として、ビジネス書などで多くのベストセラーを手掛ける。著書に「20歳の自分に受けさせたい文章講義」などがある。「嫌われる勇気」ではギリシア哲学の古典手法である対話篇へと落とし込んだ。
「嫌われる勇気」の概要
本書は二人の登場人物の対話で物語が進んでいきます。
「世界はどこまでもシンプルである」と説く哲人に対して、人生の悩みを抱えた青年の鋭い質問で白熱した議論になります。
目的論で生きる
原因論は一般的な考え方で過去の原因に注目します。
低学歴だから低収入だ!とか、トラウマがあるから不幸だ!といった原因を考えますが、しかし、それでは過去に同じ経験をした人は将来も同じという結論になってしまいます。
当然そんなことはありません。低学歴でも高収入の人もいますし、トラウマを抱えていても幸せに暮らしている人もいます。
目的論はいまの目的に注目します。
低収入なのも不幸なのも、そうしたいから!と考えます。
低収入なのは能力不足だからでスキルアップするため努力をしたくない隠れた理由があり、不幸の原因をトラウマだと思っていれば行動を起こさない言い訳になります。つまり、行動を起こさないことが目的になっているのです。
収入を上げたければスキルアップの方法を考え実践する。幸せになりたいなら行動を起こす。それだけのことです。
この目的論なら、変わりたいなら人は変われるし、幸せになりたいなら誰もが幸福になれる、と考えることができます。
承認欲求を否定する
われわれは、孤独を感じるにも、他者を必要とします。
「嫌われる勇気」P70より引用
つまり、「悩み」も他者の存在が前提となるため、アドラー心理学では「すべての悩みは対人関係の悩みである」と断言しています。
対人関係について他者から認められたいと思う「承認欲求」が働くため、劣等感や優越感で一喜一憂して悩んでしまいます。
劣等感を言い訳にすると、本来は因果関係のないことに関係があるように自分自身を納得させる原因論に縛られた考え方になってしまいます。
優越感を感じるためには勝たなければなりません。どんなに優秀な人でもやがて負けるときが来ます。勝てない自分を受け入れることができなければ、他人の権威を借りるとこや、高価な装飾品で着飾るなどして自分が優れているかのような偽りの優越感に浸るようになります。これは、とても健全とは言えません。
他人と比較して生まれる感情に健全なものはありません。「理想の自分」と比較することで生まれる感情こそが、一歩踏み出す動機になるのです。
承認欲求が満たされると嬉しくなります。しかし、他人の期待など満たす必要はありません。他人の期待に応えるために自分の人生がある訳ではないからです。
つまり、他者の課題に介入してはならないし、自らの課題に介入させてもならないのです。
他者と自分の課題を分離する
馬を水辺に連れていくことはできるが、水をもませることはできない。
「嫌われる勇気」P143より引用
これは、ある国のことわざとして本書に登場する言葉です。
例えば会社で遅刻の多い部下に悩む上司がいます。部下の課題は始業時間には出社することです。上司の課題は遅刻に関して指導する責任があります。しかし、「遅刻をするな」と命令することは部下の課題への介入となるのです。
では、課題の分離の境界線を引けばよいのでしょうか?
答えは以下の通りです。
その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か?
「嫌われる勇気」P141より引用
最終的に遅刻によって何らかの処分を受けるのは部下です。もちろん上司も監督責任を問われる可能性がありますが、その判断もまた、上層部の課題となるのです。上司の指導に問題がなければ、責任を問われるはないはずです。
しかし、部下のためと言いながら介入する上司がいます。それは自身の評価が下がることへの警戒感や自分の影響力を誇示したいという承認欲求から自らを正当化する行為です。
勘違いしてはならないのは、課題の分離は他人とのつながりを断つという意味ではありません。むしろ積極的に他人を信頼する必要があります。
他者が仲間と思うことができれば、仲間たちのために貢献したいと思えるようになります。そして、その他者貢献を実感したときに幸福感を感じるのです。
他者を仲間でだと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚と言います。
「嫌われる勇気」P179より引用
この共同体感覚が対人関係ゴールになります。
「嫌われる勇気」の感想
3つの気づき
- 普段から原因論による行動にブレーキがかかっていた。目的論でシンプルに行動すべきである。
- 承認欲求は求め続けるゴールがない感情で否定すべきである。
- 普通であることを受け入れるのは負けや劣等感とようなネガティブなイメージがあったが、実は幸せへの通過点と考えられる。
まとめ
私は他人の顔色ばかり伺っているように思います。つまり、他人からの承認を求めている状態です。
この「嫌われる勇気」で哲人はこう言います。
われわれは「他者の期待を満たすために生きているわけではない」
「嫌われる勇気」P139より引用
もちろん、誰もが自分らしく自由な人生を求めていると思いますが、無意識に他人の承認を求めてしまうことも事実だと思いです。
承認欲求を捨てることは非常に難しいことです。しかし、本書を読むことで無意識だった承認欲求を意識できるようになりました。
例えば、面倒な仕事を頼まれると、不本意ながら渋々受けてしまうのですが、そのとき「相手に嫌われたくないから断れないのだ」と気づくのです。残念ながら私の「嫌われる勇気」はまだ湧き上がってきませんが、この気づきは大きな一歩だと思っています。
本書には「勇気」という言葉がよく使われています。しかし、勇気が出る方法は書かれていないように思います。そこで私はこう考えました。
まず「勇気を出すか出さないか」は読者の課題。
本書の言葉で他者への介入にならない唯一のアプローチを「勇気づけ」といいますが、この「嫌われる勇気」という本自体が読者への「勇気づけ」なのだ。
「嫌われる勇気」の完結編
最後まで読んでいただきありがとうございます。
以上で終わりです。